の表徴ではないか。
川原の両親にしても、言うことが少しく出鱈目すぎる。俺の消息が途絶えてから、母がすっかり気落ちしてしまっただの、妹が泣いてばかりいただの、いろいろのことを言うが、母も妹も実はしっかりしていたことを俺は本人たちから聞いた。俺の葬式を盛大に取り行なおうと内々評議されていたなどと言うが、そんなばかげた評議がある筈のものではない。どこかにまだ生きてるだろうと希望をかけるのが人情だ。而もこの人情に反したことが、俺の生還を喜ぶ気持の裏付けとして持ち出されるのである。すべて善意による嘘っぱちだ。寧ろ悪意による嘘っぱちはないものか。その方が今の俺には却って嬉しいのだろう。それからいつも、きまって持ち出される前線の話ばかりだ。
今日の午後の宴席でも、同じことが繰り返された。それがきまりきった酒の肴とされる。もう沢山だ。俺は黙りこむことにきめた。何を言われても、何を聞かれても、ただ無言で押し通してやった。徹底的な唖者になって、俺はただ、自分のうちに見えてきた深い空虚を凝視していた。人間的な何かが崩壊したあとの空虚、おぼろげに理解され痛切に感ぜられるこの空虚は、如何にして填充したらよか
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