したが、それだけが殆んど仕事で、もう長唄の稽古もやめてしまいました。
「一日、何をして暮してるの。」
「だって、いろいろ用があるわよ。」
そして安らかな笑顔をしていました。その同じ笑顔で、云いました。
「あたし……なんだか、身体の調子が変だわ。」
すすめて、医者にみせますと、引越してきてから一ヶ月日に、妊娠したらしいんです。それでも、別段驚きもせず、心配もせず、当然のことだとしてるようでした。そしてそのことがはっきりしてくると、やはり女ですね。いつどこで覚えたのか、毛糸の球なんか膝のあたりにころがして、気長に、赤ん坊の頭巾や胴着などを編み初めました。無事に月がたって、病院をひどくきらったのがただ一つの自己主張で、そしてその二階で弱々しい女の児をうみました。まるで、妊娠してお産をするために家を一軒もったようなものです。
その間、私はいろいろ気をもみました。女の腹の中に生育していくものに対する不安な恐れ、それは男が誰でも感ずる事柄で、茲に改めて云うには及びますまい。それから次に、生れてくる子供の戸籍のことでひどく頭をなやましました。母親は内々私の素行を感づいたかも知れませんが、それか
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