げた。
「どうだい、今日は。」木下は其処に足を投げ出しながらこう云って、枕頭の容態表を覗き込んだ。「まだ熱が下らないんだね。」
「うむ、何しろ長い間の衰弱が重《かさな》ってるもんだから。」と啓介は弁解するような調子で答えた。
「食慾はどうだい?」
「さっぱりおありになりませんの。」と看護婦が答えた。
「困ったね。何か食べたいものはないかね。」
啓介は暫く黙っていたが、やがて木下の方に眼を向けながら云った。
「それよりも、君の製作はどうだい?」
「どうも思うようにゆかない。」
「何を描《か》いてるんだ?」
「風景だがね……。」
木下は中途で口を噤《つぐ》んだが、暫く思い迷った後に云い出した。
「どうも変だ。」
「何が?」
「僕は一寸気を惹かれる景色を見出した。枯れた樫の大きいのが一本立っていて、その根本に冬枯れの叢がある。雑草の枯れた茎が六七本寒そうに残って風に戦《そよ》いでいる。その横には、枯芝の野が広がっている。僕はそれに一寸或る種の興味を見出した。樫の幹の下半分と、根本の叢と、周囲の芝生とを、四角く画面に取り入れると、全く荒廃そのものだ。樫の幹を少し右手に寄せて構図の中心とし、根本の叢と芝地とで画面の下半分を塗りつぶす。背景は一切取り入れない。全体を少し高めに浮き出さして、その向うは陰欝な冬の曇り空とする。生命のある物は何もないんだ。樫の幹は枯れている。叢も芝生も枯れている。地面は物の芽ぐむのを許さない冷え切った土、空は暗澹とした冬の雲。太陽の暖かい光りを受けない一面の灰色だ。僕はそれで、荒廃そのものを、冬そのものを、象徴しようと思った。この頃の曇った天気は、特に好都合なんだ。僕は光りの鈍い午後に、よく其処へ出かけて行った。所が……、君、聞いてて疲れやしない?」
「いや、僕はいつも退屈しきってるから却っていいんだ。」
「僕はこう思ってる、凡て存在するものには生命があると、もしくは生命を与え得ると。存在の本質に探り入ると、凡てが生命から発する愛のうちに一つに融け込むものだ。然し一方に於ては、死そのものだって肯定出来るだろうじゃないか。生命と死とは存在の両面だからね。で僕は、僕の画面を死の息吹きで塗りつぶそうと思った。所が実際描いた結果を見ると、樫の幹は本当に枯れたものになってはいない。表皮だけが枯れて、中は生きている。春になったら芽を出しそうなものになっている。叢も芝生もそうだ。地面からも、物を芽ぐます力が泌み出している。陰惨な空からも、晴々とした明るい蒼空を思わする色合がどうしてもぬけない。作意《モーティフ》と出来上った結果とが背馳してしまうんだ。僕の製作は何物かに裏切られている。僕の心は何物かに裏切られてるようだ。僕は今それに苦しんでいる。」
木下は云ってしまうと、両手を頭の下にあてがって、長々とねそべった。
啓介は云った。
「それは君、君の心の内に在るものが君の製作を裏切るんだろう。」
「然し僕は、」と云って木下は一寸顔を上げた、「心の中にそんな変なものは何も持ってやしない。」
「なに、心の中には、意識しないものだって沢山あるんだ。それは兎に角、思い切って作意《モーティフ》を変えてしまったらどうだい。荒廃の中に蔵されてる芽ぐむ力といったようなものに。」
「僕もそう考えたことがある。然しそういうものはいつだって描ける。僕はあの景色を生かしてみたいんだ。それで努力してるんだ。曇った日には大抵出かけることにしてる。……君の容態が余りよくないのを放《ほう》っといて、出かけてばかりいるのを許してくれ。」
「なに構うもんか。僕はそれほど悪いんじゃないし、看護婦さんと信子と居れば充分だ。それよりも僕は却って、君の仕事の邪魔になるのが一番心苦しい。家《うち》との関係があんな風になって、信子と二人で君の所へ飛び込んで来て、半年とたたないうちにこの病気だからね。」
「そのことなら僕の方から御礼を云わなけりゃならないよ。君の叔父さんの内々の補助で、僕まで生活がいくらか楽になったんだからね。余徳の方が大きすぎる位さ。そんなことは心配しないで、早く病気を癒すことだね。」
「うむ。」
二人が黙り込むと、看護婦は、胸部の浸布を取代える時間だと云った。そして信子の手伝いで、彼女はそれにとりかかった。
その間に木下は、自分の室へ行って、和服と着換えて来た。湿布を取代えられた啓介は、※[#「臣+頁」、第4水準2−92−25]を深く蒲団の襟に埋めて、静に横わっていた。木下の顔を見ると、彼は云った。
「先刻の話の絵を見せてくれないか。」
「そうだね、まだ出来上ってはいないが、見せてもいい。此処に持って来よう。」
然し彼が立ち上ろうとすると、啓介は俄にそれを止めた。
「いや、また後にしよう。何にせよ、出来上ってしまわないうちは、人に見られるのは余
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