さんの姿を眺めた。そして彼があまり黙りこんでるので、山根さんはまた紙片をのぞきこんで、も一度読んだ。
「どんな人が書いたものか、大体分ります。けれど、なんですか、その恋人というのは。」
 案外落着いた調子だった。南さんはその声に耳を傾け、山根さんをまじまじと眺めた。それからまた眼をそらして、考えこんだ。そしてふいに云った。
「恋人か……なるほど、恋人、ですよ。人間でもないし、もちろん、神様でもないし、いや、やっぱり、恋人、です。そいつが、まだ、いないけれど、今に出てきます。奇蹟が、行われる……。」
 山根さんは次第に蒼ざめて、頬の肉がぴくぴく震え、眼が大きくなっていった。
「誰のことですか、それは。」
「誰でも、ありません。」
 低く呟いて、南さんはぐたりと横になってしまった。眼に一杯涙をためていた。それからふいに、卓袱台の上の紙片をひったくって、ずたずたに引裂いた。
「あんな奴に、分るもんか、畜生……、あなたにだって、分るもんか。やっぱり……僕には、恋人がいるんです。女でもない、男でもない、誰でもない……恋人だ。それが、いるんです。」
 南さんの頬には涙が流れていた。山根さんはすっか
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