さんだった。南さんはびっくりしてつっ立った。
「ただ今……。すみません。」
丁寧にお辞儀をしたひょうしに、よろよろっとして、そのままの調子で家の中にはいっていった。そして茶の間で外套をぬぎすてると、洋服の膝を折ってきちんと坐ったが、上半身はふらふらしていた。彼は眼をつぶった。
山根さんは戸締りをして戻ってきた。――おれは眼を見張った。山根さんはふだん着ではなく、大島の着物羽織をき、万年青《おもと》構図の緑がかった落着いた帯をしめ、髪もきれいにとかしていた。おれは不思議に思って、家の中をかけ廻って、彼女の履物をしらべ、風呂敷をしらべ、荷物をしらべたが、外出したらしい様子はなかった。すると、南さんを待つために彼女が服装をかえたというのは、これは重大問題だ。――彼女は端然といずまいを正して、南さんにお茶をすすめていた。
「なにも、あなたが起きていなくったって……。」と云いながらも、南さんは眼をつぶったままだった。
「女中は朝が早いから時間がくれば寝かさなければなりません。」
南さんはふらりとお辞儀をした。
「あなただって、一家の主人であるからには、帰らない時には帰らないと、家《うち》に
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