う酒にもくたぶれてる南さんのところへいって、帰りを促した。
 南さんは立上った。かなりよろけていた。そして真直に階段口のところまで行ったが、そこで立止って、ちょっと考えて、静かに室の中を見廻そうとした。その顔が少し向き返った時、横手のボックスで……「湧くは胸の血潮よ、たたえよ我が春を、」というところで歌声がやんで、ぱっと、グラスが飛んできた。瞬間に、おれが飛び上って叩き落さなかったら、南さんの頬っぺたを傷つけたかも知れない。グラスは下に落ちて砕けた。その音は小さかったが、なにかしら、異様な気配が室の中に流れた。と同時に、頓狂な笑い声がして、登美子がとんできた。酔ってふらふらしていた。それをふみしめて、眼を異様に光らしている。
「さようなら。握手しましょう。」
 南さんは云われるままに握手をして、そして平然と階段をおりていった。登美子の姿はもう見えなかった。南さんはふらりと外に出た。

     四

 南さんが家に帰りついた時は、十二時をだいぶ過ぎていた。
 彼は門柱によろけかかって、後ろ手でやたらにベルの釦を押した。暫くたって、静かに門扉が開かれた。出て来たのは、女中ではなくて、山根
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