ら、なにかしきりに考えていました。
三
堅田の顔長の長彦が、庭の梅の木をながめながら考えましたのは、亡くなった両親のありがたい心のことでした。両親があとあとのことにまで気をつけて、梅の木の根もとにたくさんの財産を残しておいてくれましたので、じぶんたちも助かり、近所の人たちも助かったのです。
そのありがたい心を、なんとか記念にしておきたいものと、顔長の長彦は、四日四晩、あれこれと考えました。そして、よいことを考えつきました。
京の都の、名高い彫《ほ》り物師にたのんで、観音様《かんのんさま》の像をほってもらいました。それができあがってきますと、庭の梅の木のそばに、小さいお堂をこしらえて、そこに観音様の像をまつりました。そのようにして、両親のありがたい心の記念としたのです。
そのことが、すぐにあちこちへ知れわたりました。ありがたい心がこもっている観音様というので、お詣《まい》りに来る人がありました。近くの人たちばかりでなく、遠くの人たちまで、聞きつたえてやって来ました。
するうちに、ふしぎなことがおこりました。ある夜、その観音様がなくなってしまったのです。
だれか、悪者が、盗んでいったのでしょうか。
顔長の長彦と顔丸の丸彦は、方々さがしまわり、たずねまわりましたが、観音様の行方《ゆくえ》は、さっぱりわかりませんでした。
ところが、またふしぎなことには、その観音様《かんのんさま》が、七日たつと、もとのとおり、お堂の中にもどっていました。
それとともに、ふしぎなうわさが、ぱっとひろまってきました。――堅田《かただ》の観音様は、七日のあいだに、あちこち歩いてこられたそうだ。京の清水《きよみず》の観音様や、大和《やまと》の長谷《はせ》の観音様など、なかまの名高い仏様にも会ってこられたそうだし、そのほか、あちこち、まわってこられたそうだ。その証拠には、足に、まだ泥がいっぱいついている。あれはありがたい観音様だ。生きた観音様だ。
そういううわさといっしょに、おおぜいの人たちが、お詣《まい》りにおしかけて来ました。
顔長の長彦と顔丸の丸彦は、お詣りに来た人たちから、そのうわさをきいて、びっくりしました。そしてともかくも、観音様の足をしらべてみますと、足のうらには、泥がいっぱいついていました。
その足の泥を、じっさいに見た人もたくさんありますので、
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