長彦と丸彦
豊島与志雄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)近江《おうみ》の国

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ルビの「おうみ」は底本では「おおみ」]
−−

      一

 むかし、近江《おうみ》[#ルビの「おうみ」は底本では「おおみ」]の国、琵琶湖《びわこ》の西のほとりの堅田《かただ》に、ものもちの家がありまして、そこに、ふたりの兄弟がいました。兄はたいへん顔が長いので、堅田の顔長《かおなが》の長彦《ながひこ》といわれていましたし、弟はたいへん顔が丸いので、堅田の顔丸《かおまる》の丸彦《まるひこ》といわれていました。
 顔長の長彦は、体がやせて細く、少しも力がありませんでしたが、たいそう知恵がありました。そして、京の都からやって来て、そこに隠れ住んでいる、年とったえらい先生について、いろいろなことを学んでいました。
 顔丸の丸彦は、知恵はあまりありませんでしたが、体がまるまるとふとって、たいそう力があり、むじゃきな乱暴《らんぼう》者で、野原や山を駆け廻ったり、剣や弓のけいこをしたりしていました。
 このふたりの兄弟は、いたって仲がよく、互いに敬《うやま》いあっていました。
 ある年の夏、ひどいひでりがして、琵琶湖の水が一メートル半程もへりました。そのひでりのため、米や芋《いも》がほとんどとれませんでしたから、そのあたりの人々は、たいへん困りました。食ものにもだんだん不自由するようになりました。
 堅田《かただ》の顔長の長彦は、一日一晩、考えつづけました。そしてそのあたりのおもだった人たちに相談しました。
「米や芋《いも》は、一年に一度きりできません。このままでは、貧しい人達は、ほんとに食べものがなくなるでしょう。聞くところでは、この湖水《こすい》のずっと北の方、海に近いあたりは、米や芋がたくさんできたそうです。だから、みんなで金を出しあって、買って来ようではありませんか」
 それはよい考えだと、みんな賛成しました。そしてお金を出しあったので、たくさん集まりました。
 ところが、遠い北の国まで、米や芋を買いにいくのは、たやすいことではありません。まだぶっそうな世の中で、途中でどんな悪者にあうかわかりません。これはぜひとも、力のつよい顔丸の丸彦に、行ってもらおうということになりました。
 そこで、顔丸
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