、煙草に限る。キャバレー・ルビーで貰った一本の葉巻を、チョッキのポケットから取り出して、ライターで火をつけようとするが、なかなかつかない。
「おじさん、なにしてるのよ。」
 見返ると、これは侏儒だ。青いジャケツに黒いズボン、足には何をはいてることやら、柳の幹影から足音もなく出て来て、近々とそばに寄り立つ。俺のライターの光で、無害なものと見極めたのだろう。こいつも、蛸入道を怖がってるに違いない。なにしろ、薄暗い河岸ぷちのことだ。
 虚勢を張って、蛸を釣ってるんだ、と答えたが、小僧は笑いもしない。
「こんなとこ、蛸なんかいるものか。鯉ならいるよ。おじさん、鯉を釣ってるのかい。」
 これは気に入った。立ち上り、うまいことを言うほうびだと、百円札を一枚差出すと、小僧は俺の顔をじろじろ眺め、紙幣を引ったくり、ありがとう、声といっしょに消えてしまった。
 これも、幻影であろうか。無償の行為だ。胸がすーっとした。毒気がぬけたのだ。
 河岸ぷちを離れ、何処に行くという当はないが、も少し歩くことだ。
 騒音の暴力はもうなく、ネオンの光りだけが明るい。そこを突っ切ろうとすると、高木老人にぱったり出逢った。
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