る位置で、囁きかけ、ねえ、と顔色をうかがい、あそんで、と視線を胸から腰へすべらし、ゆかない、で足先まで見て取り、ズボンの膝がすり切れ靴が泥まみれになっておれば、ぷいと横を向いてしまう、その女の、商売柄の眼の鋭さも、また、男のみすぼらしい服装も、恥かしいより寧ろ悲しくはないか。
 なにが悲しいものかと、抵抗出来る人は幸だ。
 ――われは沖繩の紺碧の海を思う。
 あの海になら、死体が浮んでも恐らく美しかろう。東京の掘割のは醜悪だ。いつぞや、しかも白昼、橋のあたりを、胸と脚をあらわにした女体が、潮の加減でふわりふわり流れていた。通行人がいつしか群集とたまって、それを眺めた。誰も一言も発せず、ただ眺めてるだけだ。さほど人通りの多い橋でもないので、何かの奇抜な広告のマネキンではなく、まさしく死体だ。どろどろに濁ってるそんなところに、どうして浮いているのか、死体に聞いたって分りようはない。
 そのことがあってから、俺はその附近を通るのを、なるべく避けるようにしている。
 然し、都心地の掘割はたいてい続いていて、同じ濁った水が交流しているし、どこへ行くにも掘割を越さねばならない。水は人の心を和らげ慰
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