みじみと感じさせられる。そして自分の生を愛し慈むの念が、胸の底から湧き上ってくる。
 深山幽谷に身を置く時、大海に舟を浮べる時、或は仰いで大空に見入る時、吾々は最初自己の微小を感ずるけれども、何等かの妄念に支配されない限り、吾々はその感じに圧倒されるものではない。自己を微々たるものと感ずるのは、あらゆる雑念雑事を払い去った赤裸な自分自身に対する――平素見馴れない自分自身に対する――一時の頼り無さに過ぎない。心を静めて観ずれば、自己の微小はやがて自己の偉大となる。小我を去って大我に還るとは、この間の消息である。たとい吾々の生が落ち散る一枚の木の葉に等しかろうと、その一枚の木の葉はやがて、深山幽谷全体の気魄に相通うものである。たとい吾々の生が波間に漂う一の泡沫に等しかろうと、その一の泡沫はやがて、大海全体の力に相通うものである。たとい吾々の生が一の仄かな星の光に等しかろうと、その一の仄かな星の光はやがて、天空に散布してる無数の星辰の輝きに相通ずるものである。而も不思議なのは、微々たる自分の生を静に見守ることによって、そういう広々とした境地へ踏み出していく、生きた心の働きである。生きてるとい
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