することがなかったからだろう。貧乏なのか金持ちなのか見当がつかなかった。十円札一枚もないこともあれば、新らしい百円札をたくさん持ってることもあった。
 おれが識り合ったのは一月の半ばで、それからずっと寒い日が続いた。梅の花の咲くのが後れた。そして三月になった或る日のこと、へんなことが起った。春先のせいかな。
 おれはいつものように、生魚を少し北川さんへ届けた。裏口からはいって、台所へ声をかけたが、返事がない。なんども呼んでいると、庭の方から北川さんがやって来た。作業服みたいな姿で、地下足袋をはいている。
「ああ、君か。よく来たね。」
 おかしな挨拶だが、その訳はすぐに分った。北川さんは魚をしまってから言った。
「今、君は暇かい。」
「なんか用ですか。」
「よかったら、ちょっと手伝って貰いたいんだが……。」
 梅の木を植える手伝いだった。物置小屋を廻ってゆくと、鍵の手になってる建物が、わりに広い庭をかかえている。庭師の手にかけた庭ではないが、百日紅や野薔薇や八手や檜葉や椿などが、広場の向うを限っている。その片端のところに、穴が掘りかけてあり、大きな梅の木が塀に立てかけてあった。背は低いが
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