面白くもなかった。だが、その中のちょっとした話には、あとで思い当ることがあった。これは大事なことで、北川さんの文章をそっくり写すといいんだが、雑誌をなくしてしまった。
話というのは、どこか山の温泉のことで、若い娘が一人、坂道の上に立っていた。坂道といっても、そこら全体が山腹で、はるかの谷間まで草原の斜面なのだ。
――その遠い低いところ、草原のはてに、一つぽつりと、黒いものが見えた。何だろうかと、娘はそれを見つめた。黒い一点は、動いていた。だんだんこちらに近づいてくるらしい。たいへんな速さで、こちらへやってくるらしい。次第に大きくなった。馬だった。人が乗っていた。馬も人も黒く見えた。それが、たいへんな勢いで、たいへんな速さで、草原を駆け登ってきた。ますます近づいてくる。ますます大きくなる。下方の谷間を流るる川や、そのあたりの畑地や、杉の木立など、パノラマのような美しい背景のなかに、人馬が大きく浮きだして、それが草原をいっさんに駆け登ってくる。五百メートル、三百メートル……あ、もうすぐ目近に来た。怪物のように大きくなった。それがまっ黒で、機関車のように突進して来た。ぶっつかった……と思
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