ないなめらかな声音で、「こんばんは、」と低く、次に調子よく、「前から、あなたのことはきいていて、逢いたいと思っていました。」――その二つが、ずっしりと胸にきて、吉乃《よしの》は黙ってお辞儀をした。そしてさすがにぎごちなく、それを、そのまま押し通して落付いてしまった。
色古浜の着物、綴錦《つづれにしき》の帯、目立たない派手好みに、帯留の孔雀石の青緑色が、しっくり付いていた。三十五六の、きゃしゃな美貌で、見ようによって、ひどく色っぽくも皮肉にもなる眼付――それに一抹の疲れが見えるのは、眼窩のくぼみのせいらしい。そして何のこだわりもなさそうに、ひそかに吉乃の様子を窺うでもなく、程よく席につかして、八重次に三味線を持たして、自分も低くそれにつけた。
「やっぱり、岸の柳とか、菖蒲浴衣《あやめゆかた》とか。ああいった軽いものの方がいいわね。わたしもともと、吉住の方だけれど……。というと、大層出来そうだけれど……ほほほ。」
そして澄代と八重次とだけで、座をもち続けてくれた。
「こちらも、何か聴かして頂戴よ。」
そう云われても吉乃は、好意のある八重次の視線に縋って、明るく笑っただけで済した。
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