し向うへ遠ざかった。
「若い者に遠慮をしてるんだな。ありがちのことだ。」
 そして、朝日の流れてる晴々とした空を仰いで、胸の奥まで深い呼吸をして、ひどく上機嫌になった。
 その上機嫌は毎朝続いた。一度書斎にはいると、厳格寡黙な研究家に返って、用を聞きにくるお清へも冗談口一つ利かなかったが、朝早く起きるとにこにこして、庭の中でお清を待ち受けた。所が不幸なことには、お清はもう次の朝から庭へ出て来なかった。久保田さんは自分で竹箒を使ったり、植込の枝振を一々見て廻ったり、地面に匐い出してる蚯蚓の色を研究したり、建仁寺垣の蝸牛をからかったりして、朝食までの時間を過した。
「若い者達はなかなか遠慮深いとみえる。がそれも結構だ。思想上では随分勇敢だからな。」
 ふと浮んだそういう考えに自ら微笑んで、久保田さんは毎朝必ず早起をした。そのためか、顔色も多少よくなり、食慾はだいぶ進んできた。
 そして、次の週の日曜日には、六歳と八歳との悪戯盛りの男女の子供を連れて、午前中から大森の姪が遊びに来たので、久保田さんは何だか勉強の邪魔をされる気もしたし、久しぶりで友人の顔が見たくもなって、大学奉職中の同僚を訪ね
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