非青春人と呼ぶべきであろう。
こういう時に当って、文芸もまた当然、行動を観照することをやめて、行動の中にはいりこむべきであろう。現在の文芸の苦悩は――更に狭めて文学の苦悩は、題材の不自由困難さなどよりも、本質的には右の一事にある。文学者自身が私の所謂青春人で如何にあろうとも、文学は畢竟、現実の転位の世界であるからして、また根深い伝統を持ってる世界であるからして、そこへ、革新的な青春の可能性をそっくり持ちこむことは容易でない。
一例をあげれば、行為の綜合が性格であることはたやすく是認されるとしても、性格的心理から行為が出て来るという観点を、行為の中に心理が在るという観点へ、一飛びに転換させることは容易でない。而も、何かの心理を機縁とした行為ではなく、中に心理を含んだ行為そのものをじかに掴まなければ、真に行動の中にはいりこんだことにはならない。
こういう文学論はさておき、文芸家自身をしてより多く青春人たらしめんがためにも、ここに青春の復活ということが唱道されるべきである。なぜに復活というか、前に述べた輝かしい時期或は時代は、我国の歴史には幾度かあったからである。それを復活させるのだ。
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