現今、万葉の詩歌のことがしきりに持出されている。万葉精神についてはいろいろの解説が許されるであろうが、あの詩歌を読んで、吾々が――少くとも私が、最も心を打たれるのは、あの中に溢れてる青春である。斯く云えば、この青春の語が何を意味するかは明かであろう。それは、青年時代の青春というが如きものではない。その自由さ溌剌さは、魂の躍動は、一種の決意に浸透された後のものである。決意に向って、大いなる犠牲に向って、或は大いなる行為に向って、進んでゆこうとする、その前のものではなく、心理的には既に進んでいった後のものである。こういう境地にあっては、詩歌による形象の構成、形象の創造が、一種の輝かしい大いなる建設性を持つ。
形象の創造が建設性を持つことは、青春の特権である。建設性を持たない形象の創造が、如何に多く文学に氾濫していることであるか。固より、何等かの形象を創りあげることは、これを建設的と云えば云えるかも知れない。然し注意を要するのは、文学に於ては、形象を創ること自体が一の批判となることである。この批判作用が決定的役割をなす。それ故、萎縮し涸渇した形象は、萎縮し涸渇した創造であり、退嬰的な非
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