はいりこもうとしていたのである。国をあげて、だから各人も、国民として全身をあげて、行動にはいりこもうとしていたのである。そして現在では既にはいりこんでしまっている。
行動にはいりこむとは、固より、直接に戦場に立つことを云うのでもなく、直接に銃後運動にたずさわることを云うのでもない。生存の仕方の問題だ、生きることそれ自体が即ち行動だという、そういう生存の仕方がある。それは輝かしい時期であり或は時代である。
斯かる時こそ、真に青春の時と云うべきである。青春の解釈はいろいろあろう。個人についても、民族についても、国家についても、いろいろあろう。然しただ一つ、己の全部をあげてすっぽりと行動のなかにはいりこむ――このはいりこむとは、生きることそれ自体が即ち行動だという意味に於てのもの、そういうことの可能性を青春の本質だと私は観る。
現在、我国は国をあげて行動の中にはいりこんでいる。だから国民各自も、全身をあげて行動のなかにはいりこんでいる筈である。もしそうでない者があるとすれば、それは何等かの故障に依るものであって、民族としての血液の濃度を信頼するならば、それを非国民と呼ぶのは当らず、ただ
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