ものが存在するのであって、その童話的なものをこそ、子供に読ませるものとしては、本当に書き生かして貰いたかった、云々。――日支事変の当初、私は蒙古の徳王にひどく心惹かれた。砂漠の中の百霊廟の町、何処より発し何処へ流れ去るとも分らぬ清流、右岸にはラマの聖堂、左岸には粗末な民屋、其処で、ジンギスカン以後の七百年の眠りから蒙古民族を覚醒させんと夢想している徳王、その温容と熱情と知識と知慧、民衆中最高の文化と力との精神……私は彼を童話中の人物として空想したのである。
こう二つだけを並べたのでは、何のことだか分らないだろうし、多くのことを並べなければ、まとまった一の像は得られないだろうが、煩雑を避け一言にして云えば、新時代の童話的精神を要望したいのである。新時代の童話は、明晰な眼を必要とし、新鮮な動きを必要とする。そしてこの眼とこの動きとの間に些の間隙も許されない。眼と動きとの合致がある場合、如何なる現実の重圧があろうとも、常に人間性の明朗さが確保される。明朗な眼とは知性であり、新鮮な動きとは行動である。――斯く言えば、それもただ私の童話であろうか。然しながら、「神話」と「童話」とをもし並立して
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