こに行きつつあるのかと、人に問わねばならなくなる。
このドン・キホーテを、上述の境地に置いてみるがいい。彼は碌に後方を眺めないだろう。其処に豊富な道具があることは初めから分っているのだ。ただ手を後方に差出して、手当り次第のものを掴んでくるだろう。そしてがむしゃらに前途を開拓しようとするだろう。一の道具が役に立たなければ、即時にそれを投げ捨てて、他の道具を掴んでくるだろう。道を開拓するには、先ず一本の鉄の鶴嘴がいる。然し彼にとっては、如何なるものも鉄の鶴嘴と見えるのである。彼の表情が、緊張からやがて焦繰に変らなければ、そして焦躁からやがて憔悴に変らなければ、仕合せである。
斯かるハムレット的なものとドン・キホーテ的なものとを去って、私は一の「童話」を考える。童話とは固より象徴である。この童話を考える機縁は、私事に亘るが、幾つもあるなかで、例えば、――
山本有三主宰「日本少国民文庫」のなかの、「発明物語」について、石本已四雄君が読後感を私に洩したことがある。曰く、有名な科学者達が如何に苦心して如何なるものを発明したかが書かれているけれど、ああいう科学的発見発明の当初には、全く童話的な
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