婦となっては家事が第一というのが、女学校の教育方針であって、私もそう考えていた。年若くてなまじ文才があったため、それに自ら幻惑されて、文学上の真の能力や仕事がどういうものかを知らず、前途を誤った者もある。ただ、私のささやかな翻訳の仕事は文学などというものではなく、思えば、母の御機嫌取りに過ぎなかった。私としては勿論、家事第一主義の考えに変りはなかった。
私は母に、翻訳の代償として、と言えばおかしいが、和裁を教えて貰うように願った。
「吉川もそう申しておりましたの。」
「へえー、貞一さんがねえ。」
母は怪訝そうに私を見た。
「貞一さんには関係ないことですが、あなたがそう言うなら、やってごらんなさい。」
そして私は、針仕事を教わることになったが、少しは心得もあったし、興味も持てた。母は教えるとなると、細々と丹念な注意を与えてくれた。然しそのため、私の仕事はたいへん多くなった。
いったい母は、すべてのことに几帳面なのである。室の掃除だって、箒の使い方から、艶布巾のかけ方から、廊下の雑巾がけまで、一定の方式があって、私はそれをすっかり身につけなければならなかった。食後の片付物についても
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