。遺骨二つをわたし自身から切り離すための、その代償ですからな。」
私はなにか冷いものを身に浴びた気がした。そしてなお市木さんの酒の相手になりながら、前に坐ってるその長髪の老人は、果して、気が少し変なひとか、或はたいへん賢明なひとか、どちらだろうかと疑った。いずれにしても、独自な精神のひとには違いなかった。
酔ってくると、市木さんは尺八を持ち出してきて、追分節を吹いて聞かせた。いや、私に聞かせるというよりも寧ろ、自分でその音色に聴き入ってるがようだった。
三
市木さんの日常は次第に、孤独な静穏なものに立ち戻っていった。買物や其他の用達しに、いつもの姿で飄々乎と出歩き、それ以外はたいてい家に引き籠って、ひっそりとしていた。
けれども、弘子さんの死去によって、淋しい影が深くなったのも事実だった。何よりもやはり、人手が一つ足りなくなった。飯をたくことから煮物まで炊事一切、また掃除や洗濯など、市木さんは自分でやっていたが、弘子さんがおれば相当な手伝いになっただろうが、それが無くなってしまったのである。それから精神的な打撃も深い筈だった。然し、市木さんはそれらのことをよく持ち
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