確に取り行われた。
それが済むと、深閑とした日々が市木さんに続いたようだった。そして十日ばかりたって、例の竹垣を跨いで私が行ってみると、市木さんは座敷の床の間を指し示した。そこの小机の上の、位牌と線香立とのわきに、香奠の包みが二つ置いてあった。故人の女学校の担任の先生からのものと、級友たちからのものだった。
「どうも、多勢には一人ではかないませんな。」
そう言って市木さんは眼玉をぐるりと動かした。先生や生徒たちと応対してる市木さんのことを想像すると、私はなんだか可笑しかった。市木さんは当初、死亡通知など一切出さないと言っていたが、其後思い直して、学校へは通知し、なお数名の親戚知友へ通知状を出したと、弁解するように打ち明けた。
「つまり、死亡通知を出すことによって、故人をすっかりわたし一人のものにすることが出来ると、分ってきたからです。」
その論理は私にはよく呑みこめなかったが、市木さんが故人のことを深く思いつめてることは、はっきり感ぜられた。
市木さんは故人の写真をどこにも飾らなかったが、その面影は私の頭にも残っていた。背は高い方で、痩せていて、学校から帰るとたいてい和服に着換
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