姿を見ると、すぐに逃げだした。炬燵にも寄りつかず、寒空のもとにどこをうろついてるのか分らなかった。一番いけないのは、家にはいって来て、人の気配をそっと窺ってることだった。襖の陰とか、柱の陰とか、廊下の曲り角などに、じっと蹲まり、顔だけ出して、こっちの様子を窺いすましていた。まるでスパイ根性だった。
一匹の猫は温良な性質だったが、一匹の方だけ、どうしてそうなったのか。市木さんはほんとに腹を立てた。折檻してやろうと思ったが、なかなか捕まらなかった。ようやく縁側の隅で捕まえると、手を引っ掻き噛みついて暴れた。それを市木さんは板の間に叩きつけてやった。力がはいりすぎて、猫はぐったりとなった。そうなるともう騎虎の勢いで、市木さんはなお何度も猫を叩きつけ、打ち殺してしまったのである。
市木さんの話は冷淡な調子だったが、底に熱いものが籠っていた。
「ひとの様子を、じっと覗き窺うなど、以ての外の根性です。成敗されても仕方ないことでしょう。」
前に、竹垣のことについて、見るのがいけない、眼を向けるのがいけない、と市木さんが言ったのを、私はふと思い出したのだった。そして猫のことも、やや合点がいった。
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