宜なようにも思えるのだった。
 往き来するといっても、月に一度か二度に過ぎなかった。市木さんの方では、私の庭にはいって来ても、私には声をかけず、そこらをぶらついて帰っていった。私か妻かがその姿に気づいて招じると、縁側に腰を下すこともあったが、お茶を一杯飲むだけですぐに立ち上った。
 私の方では、垣根を越せば、たいてい市木さんに声をかけた。市木さんは階下にいる時はいつも出て来たが、二階にいる時は、二階の硝子戸をあけて顔を出し、今は誰にも逢いたくないから失礼します、と言ってすぐに引っ込んだ。私は苦笑して、そこらをぶらついてから帰った。市木さんが二階で何をしているのか、私には見当もつかなかった。
 その低い垣根のおかげで、市木さんがほんとに怒ったらしいところを、私は一度見たのである。
 或る朝のこと、縁側に立って冬の陽差しを眺めていると、市木さんの家で、激しい物音が何度か続けてした。堅い器物がぶつかった音とは違い、なんだか肉体的な響きが感ぜられた。二人の子供はもう学校に出かけてる頃で、市木さん一人きりの筈だし、なにかの発作でも起して、または誤って、引っくり返ったのではあるまいか。私は心配にな
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