躇した。市木さんは鍵を取り出して、格子戸についてる錠前をあけた。
「さあおはいりなさい。」
何か用があるのかも知れないと思って、ついてゆくと、縁側に招ぜられた。そこに腰掛けて、茶と羊羹との馳走になった。宇治から贈ってきたというその玉露を、市木さんは自慢したが、私にはただ甘渋いだけで、味のよさは分らなかった。
別に用があるわけでもなさそうだったから、私はほどよく辞しかけた。
「あ、こちらこちら。こちらからいらっしゃい。」
表門の方へ行こうとする私を呼びとめて、市木さんは裏の方を指し示した。私は頬笑み、そしてお時儀をして、裏手の低い四つ目垣を跨ぎ越して家に帰った。
それが最初で、それからは、竹の垣根を跨いで市木さんのところへ行くことになった。仕事に倦きると、ぶらりと出かけて、縁側で無駄話をしながら、煙草を一本ふかすぐらいの時間で帰って来た。市木さんの方でも、垣根を跨いでやって来ることがあった。私の家の庭はわりにゆったりしてるといってもそう広いものではなく、市木さんの家の庭は狭っこいものだったが、時折、垣根を跨ぎ越して往き来してみると、ちょっと物珍らしい気も起って、低い垣根が却って便
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