しぜんに、二人は並んで歩きだした。私は家へ帰るところだったし、市木さんもそうだったらしい。
「油や水彩など、そういう絵もお書きになりますか。」
「いや、そういうものは書きません。墨絵もわたしは書きません。」
 市木さんに言わすれば、色彩とか濃淡とかを用いることは、自然を画家自身のものとすることになるのだった。いくら自然自体を取扱おうとしても、色彩や濃淡によって必ず画家自身のものとなる。だから市木さんは、鉛筆でしか書かない。鉛筆で書くことによって最もよく、自然を自然自体として表現出来る。市木さんは自然を自分のものとしようとは思わず、ただ自然自体として楽しむのである。
 市木さんのそういう見解は、私には納得がいかなかったし、一種の負け惜しみのようにも思えた。だが、私の注意を惹いたことが一つあった。市木さんは言った。
「わたしは自分自身をも、自然自体の一つとしたいのですが、なかなかその境地まではゆけませんな。」
 ぶらぶら歩いて、市木さんの家の前まで来た。市木さんは私の方を顧みた。
「ちょっとお待ちなさい。今すぐ開けます。」
 まるで、私が立ち寄ることにきまってるかのようだった。私は躊
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