ったのであろう。
「お知らせなさる所がありましたら……。」
 私はその言葉をその時聞いた。然し私は「いいえ。」と答えた。実は知らすべき親戚や友人が少しあったが、私はその場合に大勢の人が来るのを欲しなかった。出来るなら看護婦やS子さんをも遠ざけたかった。私はただ堯と二人で居たかった。
 看護婦は容態表を記入した。
 朝――熱九度三分、脈搏百三十四、呼吸五十四。
 午――熱九度一分、脈搏百五十四、呼吸五十六。
 便二回、嘔気一回、カンフル三回、滋養腸注一回、人乳十瓦二回。
 もう殆んどどうにも出来なかった。重苦しいそして盲目な時間が過ぎて行った。一瞬の休止もなく或る大きい力で押し進んでいるものの前に、私の叫びや意力が如何に小さかったか。然しそれも凡て私のものではないか。
 T氏も回診して来られた。
「どうも仕方がありませんね。」と云われた。
 一時に、特にU氏が見舞って来られた。私はもう何とも云わなかった。U氏も黙って居られた。私達はただ低くお辞儀をした。
 私は堯の喘ぐような呼吸をじっと見ていた。「坊《ぼん》ちゃん坊《ぼん》ちゃん!」と私は心の中で云った。それは堯が生れて間もない頃私がい
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