、あの通りの容態ですから、どうにも仕方がありませんね。今晩あたり危険かも知れません。午後からはついていられた方がいいでしょう。」
 私は少しも驚かなかった。そういう言葉も私の心の中に何の響きをも立てなかった。私はただ感謝の頭を下げた。
 私は駆けるようにして家に帰った。T君が来ていてくれた。
 私はすぐに八畳の座敷の方へはいった。芳子が寝たままじっと私の顔を見つめた。私は芳子の側の小さな蒲団の中を覗いてみた。と、私ははっとした。堯とそっくりの赤ん坊の顔が其処に在った。すやすや眠っていた。
 私は芳子の枕頭に坐った。蒲団の外に差出した芳子の手を私は強く握った。力強い何とも云いようの無い涙が出て来た。
 私達は暫く黙っていた。
「どうだった。苦しかった?」と私は云った。
「ええ。それでも陣痛が激しい代りに時間は早かったのです。三時半に。私はSさんの手をじっと握っていました。」
 堯の時は芳子は私の手を握っていた。
 暫くすると芳子が云った。
「如何でした?」
「同じようで別に変りは無い。」
 暫くすると芳子はまた云った。
「いけなかったのではありませんか。」
 私はじっと芳子の眼を見守った
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