言葉は出せなかったが、おしっこ[#「おしっこ」に傍点]はその度毎に大抵教えた。何かいつもよく口を利いているらしかった。それからどうしてだか知らないが、按摩の笛を大変恐がった。きゃっきゃ云って遊んでいる時でも、按摩の笛が聞えると、すぐに母親の懐に顔を伏せてしまった。
 然しそういう堯自身は今何処へ行ったのか。……私はじっと堯の顔を覗き込んだ。安らかな顔をして寝ていた。眼には硼酸水に浸したガーゼが当ててあった。角膜に少し故障があるのであった。私はそのガーゼを取ってやった。堯はぼんやり眼を開いた。何か嬉しそうに口元を動かした。すぐに食塩水をやると、それを飲み込んだ。
 私はそっと立って行って、氷嚢の氷を取り換えたり、人乳十瓦はいったコップを持って来たりした。洗面所の横に小さな箱があって、八号という札がついていた。その中に堯の病室用の氷や人乳や薬がはいっていた。あたりの空気が冷たかった。
 私が三時に与えた人乳十瓦を、堯はよく飲んでくれた。私は嬉しかった。
 じっと坐っていると、私はふと、どうしていいか分らない気持ちに襲われた。私の全身は或る大きい力で堯の方へ引き寄せられた。堯を自分の腕に胸に
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