達の心に堯の死の場面がはっきりと映じた。
俥はまだ来なかった。私は外に出てみた。薄暗い寝静まった通りを透して見ると、向うに俥屋の提灯の火が見えた。
「来ましたか。」
「ああ今すぐ。」
芳子は又私の手につかまった。
「坊やのことをね。堯をね。」
私は返事の代りに、彼女を緊と抱いてやった。
すぐに俥屋が来た。「S町まで、」と私は云って芳子を連れ出した。
俥屋の一人は私達の姿をじっと透し見た。
「おや、奥様でございましたか。」
「あ、Yさんですか。」
一人は私達をかねて知ってる俥屋の主人Yであった。彼は、私達の親戚の家や産婆のIさんの家も知っていた。好都合だった。でその主人に産婆の家へ行って貰うことにした。芳子は若い衆の方の俥に乗った。そして黙って私の前に頭を下げた。
私は外に立って、右と左とへ別れて馳せ去ってゆく二台の俥を見送った。それから玄関の扉をしめた。病室に帰ると看護婦に玄関の締りをして来て貰った。
私は一人で堯の枕頭に坐った。それからじっと眼をつぶった。
芳子の方のことは心配はなかった。前からすっかりは仕度調っていた。家にはS子さんと常とが居た。Iさんもいつも私の
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