私は云った。
「え?」と芳子は顔を上げた。私の問いが、危篤の状態に居る堯に向って為されたのか、または生れようとする腹の児に向って為されたのか、彼女は惑ったのである。
「お前の方は?」
「ええ。」と云って芳子は初めて軽く微笑んだ。
 夕方から、堯には人乳十瓦ずつ与えられるようになった。U氏が一番心配している嘔吐は全く無くなかった。
 そうしてたとえ十瓦の人乳でも落ち附いてゆけば非常な幸いであった。夕方、食塩水の腸注入をやったが、殆んど吸収せられずに出てしまった。熱も脈搏も呼吸も増してゆくばかりであった。頭にはたえず氷嚢があてられた。額をも水で冷した。然し額の方は時々しか冷せなかった。少し続けてやればすぐにチアノーゼを起しそうだった。否既に軽微なチアノーゼは起していた。夜になると、額を冷しているとすぐに頬のあたりまで冷たくなって、色が変りそうだった。
 脈が時々結滞するようになった。カンフルの注射が行われた。十瓦の人乳を飲むのに、長くかかるようになった。それがすむと非常に疲れるらしかった。
 夜U氏の回診の時、私は云った。
「脳は大丈夫でしょうか。よくなっても馬鹿になるようなことはないでし
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