ん一家もそのうちの一つだった。身につけて来た僅かの資本で今の所に文房具店を開き、幸に場所がよかったため相当に客足もついたが、間もなく老母は日光と空気と運動との不足のために逝《い》った。その後三年許りの間に、老母の死によって蒙った家政上の欠陥を恢復し、女学校を出た光子の身なりをととのえ、更に此度《このたび》の彼女の病気に心ゆく手当を施すだけの収入は、勿論得られなかった。中学の英語教師を勤めている遠縁の壮助が、彼等のせめてもの頼《たよ》りとする唯一人だった。
壮助はぼんやり室《へや》の中を見廻した。そして薄暗い片隅に散らばっている看護婦の所持品がまた彼の視線を引きつけた。
「もう看護婦が来て二月余りになる!」とふと彼は思った。そしてそのことが妙に彼を苛々《いらいら》さした。眼をつぶるとあの時の光景がはっきり浮んできた。
「年を越したら……。」と云っていた光子の病気は正月を迎えても少しも見直さなかった。或日壮助はまた見舞にやって来ると、光子は大変気分がいいと云っていた。で居間の方で羽島さんと話をしていると、病室の方から「早く!」と云う引き裂くような小母さん(壮助は光子の母をそう呼んでいた)
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