男や赤い手絡《てがら》の女やを見出す時、彼は顔を上げ得られないような気持ちに浸っていった。
人波にもまれて活動小屋から押し出されると、彼はもう凡てが懶くなっていた。それでも何かに追われるように一人でに足が早められた。頭の芯に遠い痛みが在った。
閉められている宿の戸をそっと開くと、内からお婆さんの大きい声がした。
「かっといて下さいよ。」
その声をきくと、急に身体の筋肉が引緊《ひきし》められた。そして何かが、重い鈍なるものが、彼の眼の前にぴたりと据えられた。其処で凡てがゆきづまっていた。
「どうにでもなるようになるがいい。」と彼は投げ出すように呟いた。然しすぐその後から別な声が囁かれた、「あすという日が来たなら……。」
然しながら、重苦しい眠りの中には、凶なる夢が彼を待っていた。
――広く明るい舞台の上にでも見るような室だった。何処から射《さ》すともない明るみが一杯に湛えていた。そして其処に妙な男が一人立っていた。姿は何にも見えなかったが、兎に角或る男が立っていることは事実だった。恐らく黒い布で覆面しているであろう。……そして何かが……盗みが今為されようとしていた。男は畳の数を
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