貴い労力の結晶なんだ。また或人にとっては如何なる額の汗を以てしても得られない宝なんだ。其処から多くの誤られたる概念や人生観が生れて来る。貧に甘んずることが一番いいんだ。頭とそして心とを悪くなさないために……。」
「また君の論理癖だね。」
 壮助はそう云って苦笑した。然し苦笑されないものが彼の心を急に脅かして来た。
 兎に角古谷に逢わなければならない。
 壮助は急に川部に別れを告げた。
「どうしたんだ。」
「いや急な用事を思い出したんだから。」
 壮助はもう何にも考えなかった。ただ古谷に逢ってどうにかしなければならないという思いが、彼をぐんぐん下宿の方に引きずった。
 下宿に帰るとお婆さんがすぐに出て来た。
「まあ今迄何処にいらしたのです。」
「何かあったんですか。」
「そら例の古谷さんが早くから来てね、先刻まで待っていたのですよ。お帰りがないから怒っていきましたよ。」
「そうですか。」
 まだ何か云いたそうにしているお婆さんに壮助はただそう云ったまま、黙って自分の室に上っていった。そして火鉢の側にあった客座蒲団を室の隅に投《ほう》り出した。
 彼は何かに対して怒鳴りつけたくなった。然し
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