ぼんやり歩き出していると、彼は急に後ろから呼び止められた。川部が其処に急いでやって来た。
「どうしたんだ? いやにぼんやりしてるね。」
 川部の生々した顔と声とに、壮助は初めて夢から呼び覚されたような気がした。そして凡てにぶつかってみようという力が脳裡に閃いた。
「何処《どこ》へ行くんだい。」
「家に帰るのさ。」
「そうか。」そう云って川部は彼の顔を覗き込んだ。「では僕も一緒に其処まで歩こう。」
 川部は彼と学校の同級だった。そして其後も可なり親しく交っていた。学校時代からずぼらで勝手な熱ばかり吹いていた彼は、いつの間にかしっかりした新進批評家として前途を文壇から嘱目されるようになっていた。彼の顔には何時も熱のある表情があった。そして何時も何かしら興奮していた。興奮のうちに彼の精神が生々と育っていった。
「おいどうだい、此の頃は。」と川部は云った。
「何が。」
「光子さんの病気さ。」
「ああ少しはいいようだし、医者もいいように云っているが、まださっぱりはっきりしないんだ。」
「なに医者の云うことなんか、当《あて》になるもんか。ただ君の実感が、君が肉眼で見た所が一番本当だよ。」
「そうか
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