へ帰って来た。
 狭い裏口の方に廻って其処から入《はい》ろうとすると、羽島さんが彼の足音を聞きつけて、すぐにやって来た。然し彼は何とも云わないでただ壮助の顔を見守った。
「心配なことは少しもありません。」
 不用意に投げられたその一言が却って壮助自身を驚かした。彼は一寸息をつめて羽島さんの顔を仰いだが、それから静かに云った。
「腹部にも何処《どこ》にも余病はないそうです。余病が出ると非常に危険だから念のために幾度も便の検査をしたんだそうです。それに胸部の痰もこの頃は非常に少くなっていると云っていました。病勢が一寸防ぎ止められているそうです。これから熱が出ず食慾が増してゆけばもう大丈夫なんです。然し衰弱がひどいから安心は出来ないそうですが、種々|悉《くわ》しく手当を教わって来ました。」
 壮助は腸結核の問題に就いては何にも云わなかった。老人に対しては常になすべき多くの気兼があった。そして咄嗟《とっさ》の間に壮助はそれを忘れなかった。それから彼は医者から聞いた種々な細かな注意を話した。
 羽島さんは黙って聞いていたが、壮助が話し終ると、何とも云えない顔をした。昏迷した表情のうちから静かな湿
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