く頃、彼等はよく鍬を手にして裏の畑の中に立った。
彼は下駄をぬぎ捨てて黒い地面の上に踏み入った。蹠には黒土の露に濡った冷たさが感じられた。鍬をその土中につきさして耕すと、青い蚯蚓などが匐い出して来た。性来蚯蚓が大嫌いである彼も、そういう時は少しもそれに嫌悪を感じなかった。そして青々とした野菜の葉が黒い土の中から伸びているのを見ると、自分も蚯蚓と共にその大地の上に横わりたくなった。凡てが冷たいほどに清らかであった、そして健かであった。涙が湧き出るほどに清らかで健かであった。
ふと蜘蛛の一筋の糸が顔に掛ったので、鍬の柄に屈めていた身体を起すと、母も跣足のまま其処に立って彼の姿を眺めていた。
「お母さん、余り疲れるといけませんよ。」と彼は云った。
父の死後、母は急に痩せて来た。然しそのために少しも骨立ちはしなかった。彼女はいくら痩せても、丸くふっくらとしていた。そしてそういう痩せ方をする身体のうちには、夢見るような魂があった。彼も父の死後、そういう母の魂のうちに自分の心を抱かせる習慣を覚えてきた。
庭の樹木が紅葉して、いつの間にかその葉が散るようになっていた。蜘蛛の巣に落葉が一つ幾日
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