秋の幻
豊島与志雄

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【テキスト中に現れる記号について】

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)牛馬の□[#「□」に「(一字欠)」の注記]
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 或る田舎に母と子とが住んでいた。そして或る年の秋、次のようなことがあった。――
「もう本当に天気がよくなったのでしょう。」
「そうね。」
 母と子とは、或る朝そんな会話をした。そして二人共晴々した顔を挙げて、青く澄んだ大空を見上げた。大空を見上げる前彼等の視線は、広い野の上を掠め、野の向うに聳立っている山の頂を掠めた。そして今、視線が更にその上の青い大空のうちに吸い込まれると、彼等は何とはなしに微笑みを洩した。
 その年は、初秋の頃から殆んど毎日のように梅雨のような雨が降った。それは、空から落ちて来るのではなくて、地から舞い上る糠雨のようであった。往来には深い泥濘が出来、家の中はじめじめしていた。村の人達は、鶏小屋の掃除や牛馬の□[#「□」に「(一字欠)」の注記]に苦心した。それよりもなお一層、稲や蕎麦の実入りや大根や里芋の収穫に心痛めた。そして彼等は毎日眉を顰めて雨の空を見上げながら、ぶらぶら遊んでいた。

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