と申します。……いいお生れの方でお仕合せでございます。」
 そういう巡礼の人々が語ってゆく話は、遠い生れぬ先に聞いたように思われる話ばかりだった。彼女等の鈴の音が、閑寂な村の木立の間に消えてゆくのを聞いていると、彼は自分の母親の膝に縋りつきたいような気持になるのであった。
 幼い頃、春になるとよく彼は紙凧を揚げた。時々は村の百姓達に叱られながら、紫雲華[#「紫雲華」はママ]の咲いた畑の上に蹲って、自分の紙凧を向うの連山の高さと競ったものだった。その平野を限っている向うの一連の山脈は、然し秋になると、妙に彼の心を引きつけた。その山の頂がこの大地の境界で、その向うは底なき絶壁になっていて、その向うに恐ろしいもの、地獄とか極楽とかいう覗いたら目が廻りそうなものが、あるような想像をしていた。そしてそれは、ただ漠たる幼い幻想とまた祖母の寝物語りとから、いつのまにか出来上ったものらしかった。その気持ちが、今また、巡礼者等の鈴の音が消えてゆくのをきき乍らぼんやり眼を向うの山の頂にやっている今、彼の心に蘇って来た。
 で彼は何の気もなしにそのことを母に話してみた。
 すると母は何とも答えないで、彼の顔
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