はどうなの。それに比べれば、あたしのことなんか、何でもないじゃないの。」
 そしてあなたは煙草をくゆらしながら朗かに笑っていた。それはもう、鎌倉山より以前のあなただった。あなたがそんなにたやすく、現在の自分をふみにじって昔に逆戻りが出来ようとは、考えただけでも私は情けなくなった。而もあなたは、みますの娘のみよ子と私のことを、本気でそう信じたのか。其後私がいろいろときき出し得たところでも、あなたは確実なことは少しも知っていなかった。「今からあの娘のパトロンになって、そして芸者につきだそうというのは、坪井君もなかなか利口ですよ。」そういう岡部の言葉を、あなたはどういう根拠で信じたのか、あなた自身にも分ってはいない。岡部はやはり、ほんとに親切な調子で、あなたのことを思って、そう云ったのであろう。それは私にもよく分る。そしてその、坪井君もなかなか利口ですよという平凡な言葉が、私の胸を刺す[#「刺す」は底本では「剌す」]以上に、あなたの胸を刺した[#「刺した」は底本では「剌した」]ろうこともよく分る。けれども、それは単に言葉にすぎないし、岡部の誤った言葉に過ぎなかった。
「みます」のことも、私に
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