坪井と郁子とは、酒をのんだり煙草をふかしたりしながら、黙って向い合っていた。始終逢ってる仲で、何も話すことも聞くこともないというような、落付いた様子に見えた。そういう時、時間は何の支障もなくたっていく……。すると、ふいに、郁子は声を出して笑った。
「変ね……こしうしていると、まるで敵《かたき》どうしのようじゃなくって。」
坪井は別なことを考えているようだった。
「出ましょうか。くるまも待たしてあるから……。」
「どこへ行くんです。」
「どこへでも……。」
坪井の顔に、冷かな微笑が浮んだ。
「あなたは岡部君に用があったんじゃないんですか。」
郁子はじっと坪井の顔を眺めた。眺めているうちに、眉がぴりっと動いた。
「岡部さんは、あたしたちがもう一度ゆっくり逢わなけりゃいけないって、そういっていました。まるで、喧嘩別れでもしたようね。……だからあたし、癪にさわったから、その忠告に従ってやっただけです。」
「忠告に……。」
「癪にさわったからよ。ばかばかしい。じゃあ、もういくわ。岡部さんによろしく……。」
郁子は立上った。全く突然だった。立上ってそして、手袋を片手に握りながら、神経的な…
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