ていた。岡部はお幾と何やら囁きあって、二階に上っていった。お幾がやってきて、酌をしてくれたが、坪井は口を噤んだきりだった。
 徐行する自動車の音がして、やがて、表の硝子戸が開いた時、坪丼は顔を上げた。郁子の姿が、真正面に光を受けて、くっきり浮出していた。紫地に花の押模様の繻子のコート姿が、皺も襞もなくすらりと伸びて、細そりした肩に薄茶色の毛皮の襟巻が軽くふくらみ、顔の輪廓が蝋細工のようにきっぱりしていた。彼女はそこにちょっと立止っていたが、立上った坪井の方へ、足さばきの揺ぎも見せないで滑るようにやっていった。お幾があわてて出て来た時には、彼女は手袋をぬぎながら、坪井へ云いかけていた。
「お一人なの。」
「岡部君ですか。二階にいます。呼びましょうか。」
 彼女は笑顔でそれを打消して、瀬戸の火鉢に細い指先をかざした。凹んだ眼のあたりの他国人めいた風貌に丁度ふさわしい好奇な眼付で、お幾をじろじろ眺め、室の中を眺めまわした。それから坪井の方へ向きなおった。
「何かたべますか。」
「もうたくさん。それより、お酒をいただいてみようかしら……。」
 お幾が酌をすると、彼女は器用に受けた。
 そうして
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