河以南の租界に住んでる彼等の多くは、其処が未だ日本に対する敵性の濃い英米の勢力圏内であり、随って重慶政府と密接な繋りを持っているだけに、単に一身の安全を図るためにも、抗日救国を口にせざるを得ないのである。
新支那中央政府の要人たる傳式説氏や趙正平氏などを中心とする文芸科学社関係のグループや、中華日報や新申報への関係の人々を除いては、たとえ和平派に心を寄せ東亜新秩序建設に志ある人々でさえ、表面上灰色的態度を取らざるを得ず、日本人と会談することなどは甚だしく警戒する。A氏の所で私達が逢った某シナリオ作家は、自然に自分の名前が知られるのを待つだけで自ら名乗ろうとはしなかったし、同じく氏の所で私が偶然同席した頼もしげな一青年は、互の姓名を知り合うことなどには全く無関心な態度を取った。数名の大学教授や文学者などと私達がひそかに会談し得たのも、彼等の間に信望のある自然科学研究所の上野太忠氏の斡旋に依るものだった。そして日本側と関係のある人々の許には、鉄血鋤奸団などというものからの脅迫状が舞い込んでいる。
彼等は何かしら憂鬱そうである。私達と会談しても、どこか心の扉を閉してる様子があり、日本に対
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