云われる。然しそれだけでは言葉が足りないのを私は感ずる。これは大陸的神経などという吾々の概念からはみ出すところのものだ。
 こうした大衆が上海には充満している。その最も貧窮なものには、黄包車挽きなどを生業としてる苦力がある。蘇州河の数ある橋のうちでも、ガーデン・ブリッジは自動車の往来が最も頻繁であり、南北四川路をつなぐ橋は人間の往来が最も頻繁であり、この後者の橋の袂には、早朝から深夜に至るまで黄包車が群がっている。荷物をさげた人でもあろうものなら、一時に多数押寄せて来て四方から荷物に手を出し袖を引張る。客がそれらを払いのけて一人を選べば他の者等は直ちにけろりとして一抹の未練気も示さない。選ばれた一人は、客を車に乗せ梶棒を上ぐるや、梶棒の向いた方向へ真直に走り出す。車上から右とか左とか、足を踏みならしながら指図する客も屡々見受けられる。それらの苦力の感情の動きについては、外部からの窺※[#「穴かんむり/兪」、第4水準2−83−17]は不可能である。
 この苦力等のうちの、更に最も貧窮なのは、上海に流れこんでる窮民たちである。彼等は一日一弗(上海通貨の)で黄包車一台を親方から借りる。三四人
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