体的内容を問題とすることである。具体的内容のみを問題とするの危険を認むることに於ては、私は人後におちないつもりである。然し一般に技巧の進歩を来した吾が文壇は、進歩の余り一の扉にぶつかってる吾が文壇は、具体的内容を問題としてもいい位の境地にまで、辿りついてるのであると私は思う。特に大家連に於て然りである。
表現の技巧が或る程度に進歩する時、それから先の作品の価値は内容の深浅によって定まる。Aの事件もしくは人物は、如何によく描写されようとも、要するにAの事件もしくは人物である。Bの事件もしくは人物についても同様である。そして意義的価値に於てBがAよりも優る時には、Bを内容とする作品がAを内容とする作品に優ることは自明の理である。勿論Aを内容とする作品を書くも、Bを内容とする作品を書くも、それは作者の自由である。然しながら、独立した作品としての見地に立つ時、また評者もしくは読者としての見地に立つ時、B内容の作品はA内容の作品の上に位する。そして、真に自覚ある作者ならば、なるべく上位の――有意義な――作品を書かんとする位の精進は、有する筈であり、有すべきである。かくて、作品の具体的内容が問題
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