のでしょうか。私の方から誘惑することも出来た筈です。私はもう汚れています。汚れない前に、あの時、なぜ今村さんに身を投げ出していかなかったのでしょうか。今となっては、もう遅すぎます。けれど、夢を見ることなら、あの続きの夢を見ることなら……。それにしても、今村さんの手、どうしてこう冷たいのでしょう。いえ、顔を見てはいけません。眼をそらして、遠くを見つめて、続きの夢を見るのです……。

     三

 大森の海は、汚くて泥くさかったが、俺にはさほど嫌ではなかった。今村と波江の室からは遠慮して、第一そんなところ可笑しくて見ちゃいられないし、俺は夜遅くまで海岸をぶらついて、それから、コンクリートの岩壁の隙間にはいり、ぐっすり寝こんだ。
 頭の上で何か音がしたので、眼をさますと、驚いた、こんなに早く、といってももう八時頃だったろうか、今村が下駄をつっかけ、庭の境の竹垣をまたぎ越して、岩壁の上に来て屈みこんだのである。もう着物にきかえ、顔も洗い、髪もなであげていたが、頬の肉がおち、眼が窪んで、そして両の顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》のあたりに、結核性とも見えるような、かすか
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