ら少し離れて、松の木が七八本立ってるところまで行った時、松の根が出てる上に、今村さんは真白なハンケチを拡げました。そこに腰をおろす時、私は今村さんによりかかってしまい、今村さんは私を引寄せ、そして初めて、キスをしました。強く強く抱きしめられたということ以外は、頭がぼーっとして、何にも覚えていません。
 ただそれだけのことが、どうして今迄忘れられなかったのでしょう? 今村さんも私も、愛してたかどうかさえ分りません。ただああいうことがあったというだけです。私が結婚生活に破れて東京に出て来て、叔母と一緒に小料理屋などを始めた時、今村さんの住所をきいて手紙を出したのも、同郷人の応援を頼むという意味だけでした。けれど、心の底では、単なる同郷人だけではありませんでした。その、何というか、あの時よりずっと前から、赤ん坊の時から、よく知り合ってるというような親しみの気持が、次第に大きくなってきました。今村さんに久しぶりで逢ってみると、私の方が余り変ったせいか、少しも変っていないような気がしましたばかりか、背丈が少し小さくなった――そんな筈はありませんが――でもそういう気がしました。それがなお、親しみの
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