」と彼は叫んだ。
「だから猶更待ってやるのが本当でしょう。」
「いえ、だから、人間一人の運命に関することだから、変にこじれないうちに早くきめなければいけません。」
 見方が違うんだ、と彼は考えた。彼女等にとっては、依子は一の玩具に過ぎない。依子の存在に対して、現在愛の心が動いてるのではなくて、愛するという空想を楽しんでるのだ。隙にあかして、ゆっくり期待の時期を味おうというのだ。然し……依子の運命を弄ばさしてなるものか!
「兎に角きめるだけ早くきめたらいいでしょう。」と彼は云った。
「おかしな人ね。」と兼子が云った。「初めはあんなに躊躇していらしたくせに、今になって、どうしてそう性急《せっかち》なことを仰言るの?」
「僕の心がきまったからだ。」と彼は答えた。「心がきまった以上は、僕は是非とも依子を引取ってやる。向うで嫌だと云えば、奪い取っても構わない。……安心しきって下らない空想に耽ってるうちに、またどうなるか分らないじゃないか。その方を先に解決するのが第一だ。」
「では何を危ぶんでいらっしゃるの?」
 彼は黙って兼子の眼を覗き込んだ。その眼は好奇の色に輝いていた。彼は不安な気持ちになった。見せてならないものを見せたような気がした。依子を愛することが、何で兼子に気兼ねする必要があろう? そうは考えてみたけれど、はっきりした形を取らない仄暗い不安が、何処からともなく寄せてきた。依子が来たら凡てよくなるだろう、と彼は自ら云った。そしてそれまでは、もう依子のことを口にすまいと決心した。
 彼が黙っていればいるほど、兼子の眼は益々彼の内心へ向けられていった。彼はそれをはっきり感じた。
「眼が大きいそうですから、屹度あなたに似てる子に違いありませんわ。」と兼子は云った。
 俺をたしなめているんだな、と彼は考えた。
「家に引取ったら、」と兼子は云いもした、「余りいろんなことに干渉なすってはいやですよ。女の子は女親の方がよく気持ちが分りますから。私ほんとにいい子に育てたいと思っていますの。でも、悪いことをしても私には叱れないかも知れません。そんな時はお母様かあなたが叱って下さるといいんですけれど……。」
 彼女の言葉は甘っぽい嬌態を帯びていた。彼は其処に一種の武器を見て取った。彼女は自分一人で子供を占領したがってるのだ、と彼は感じた。占領したいんならするがいい、とも考えた。然し……
前へ 次へ
全41ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング