子をも包括し得る可能性とがある。
      *
 自由主義の動きは、例えば河の流れに似ている。何物も遮るもののない時には、平静に流れて波をも立てない。然し一度、その流れが堰止められ、その勢いが蓄積される時には、如何なる堤防をも乗り越し破壊する。そしてこの危機に際しては、自由主義はもはや自由主義でなくなり、一躍反対物へ転向することさえある。
「学芸自由同盟」も恐らく、自由主義とほぼ同じ運命を持ってるものであろうと、私は考える。場合によっては、殆んど存在の意義が無くなるかも知れない。或は何等かの堤防に直面して、特定の偏向と行動とを強いらるることにより、四分五裂するかも知れないし、又は創立主旨とは異ったものへ転向するかも知れない。
 然しそれだからといって、この同盟を中間の無用な存在だとは断言出来ない。中間は静止を意味するものではない。人間社会にあっては、中間も常に動いてゆく。そしてこの動きは、自由主義的基調によって成さるる場合には、後退を意味するものではなく、前進を意味する。前進は新らしい地平線の発見を予想させる。そして新らしい地平線の発見を意図する前進こそ、あらゆる文化運動の使命である
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